対談:支援者×利用者×雇用者
ザックリと!対談の内容はこんな感じ!
- より良い支援を受ける為には、支援員に依存する事を避け、当事者である障害者が主体性を持つ必要がある。
- 知識がないと物事の選択が出来ないので、主体性や意志決定力を持つ為には知恵が不可欠である。
- 本来、当事者と支援者は、自律神経などの生物学的な知識を押さえた上で、個人の障害特性を理解していくことが求められる。
MO:その話だとやっぱり先ほどの支援者の方[※1] もいろんな利用者さんから意見が上がってきていて、ただでも「あなたもやれることやってないよね」っていう利用者さんもいるわけですよ。
で、やっぱり会社で嫌なサポーターがいて、そのことを、その支援者の方に相談したんですけど乗ってくれないです、と。
あの人は頼りがいがない、頼りにならない、と。
いやいやいやいや、ちょっと待ってくれと。
きつい言い方をすれば、全部誰かに依存してるでしょう、と。
「あのサポーターが嫌だ、あの支援者は相談乗ってくれない」って。
じゃあ、自分でどうしたらいいのかわからないのだったら、そこに対してどう自分からアプローチするか、発信するか、相談すればいいのか…、どう考えればいいか、というのを教えていければいいのかなっていうのはあって。
そういった中で、支援者の方へもこちらから提案する力を養わなければだめだなと思って。
自分で自分の身を守るのであれば、そういう人がいた時にどう巻き込めるのかっていうこと、ダメだと言う前に自分から定着してく方法っていうのを提案する。
やっぱりね、考える力っていうのはある程度必要になってくるので、もちろんそれを全ての障害者の方に要求するわけにはいかないとは思うんですが、でもそういう手段もあるって事を考えながらやってくと、現状としてYZさんのおっしゃる通りで、私たち(障害者)のこと、仕事のことや、それ以外のことも知らない人たちがたくさん入ってきてるから、その人たちと付き合うにはどうしたらいいかっていうことも考えて、それをこっちから提案はしていってもよくて、受身である必要はない。
うちの会社の教育研修担当の人が同期なので、とても仲が良くて(笑)ただ、いろいろ異動などもあり、定着支援の担当になってしまって(笑)ちょっと気まずいなと思いながら、でもすごく話せる方なので今後そういう提案もしたいっていうこともお伝えしたんですね。
教育研修なので私が所属する部署と絡みながら、そのうち会社で何かそういうことができないか、と。
今後の話ですけど、やはりこちらからもある程度働きかけていく必要もあると思っています。
F:これね…。この手の話って、自分から主体的にできればいいに越したことはないです。
ただね、この力を身につけるというのは第三者機関が必要で、知恵っていうものを獲得しないと、依存だったりとか自分のことを振り返るとか、それこそ自分のことを正しくお伝えするとか…、それって多分わかると思いますけど「自分かわいそうでしょう?」っていう伝え方だと誤りじゃないですか。
そういうことは「すごく不安になると、あらゆるもの食べちゃうんですけど、こういう時だったら平気なんです。」みたいな、要はメリデメについて自分で決めたことを正しく伝える力っていうのは絶対、確かに必要だって私たちも思いますし、それができればどんな酷い支援者が来たとしてもコントロールができる。
これだけやってくださいと、伝えればいいわけですよね。
MO:そうそう、そうですね 。
F:それ以外は結構ですとか、それ以外に関しては他に相談先があるし、自己管理の中でアラートは分かっているので大丈夫ですって、確かにはっきり言えるんです。
だけど、さっきの話だと6割方の…、正直に言うと6割の下2割に近い人たち[※1] の典型的な方たちは、理由というのが言えないっていうことなんです。
MO:あー。
F:だから、MOさんは元々社会人でいらっしゃったっていう経験があるので、元々その観点をお持ちだと思うんですよ。
それは持ってる能力なんですね。
だけど例えば新卒の子とか、引きこもり歴が長い人とか、それからメンヘラから不安障害になってるとかいうような人は、性格要因の方が勝ってくると、自分でその状況から這い上がる力は、ほぼ皆無なんです。
MO:うーん。
F: MOさんは、向上心がある方だから這い上がる力を持っているし、這い上がりながらも付き合っていかなきゃいけないっていう現実っていうのが見えていると思ってお話をしているんですけれども、やっぱりやっててすごく思うのはいろんな方がいます。
就労の場にはやはり過去に職歴がある方もない方もいらっしゃいます。
で、後はその育歴上の問題で例えば中学校でいじめがあって不登校になって10年ぐらいずっと社会に参画してなかった方が、いきなり社会に出てっていう流れを汲んだりとかもすると、やっぱり自己実現という能力には、ものすごく欠けているし、自信もないわけです。
だから、そのために正しく選択するための知識っていうのが本来必要なんですけれども、それを教える機会っていうのが残念ながら今はないんです。
MO:意思決定する力みたいな事なんですかね?
F:そうですね。
で、意思決定っていうか、本当こないだこの手の話を別の会社でも話したんですけど、自分で持ってるカードみたいなもの、大貧民をやりましょうって状態で、意外とトランプゲームってカードが少ない方が不利ですよね?
だって戦略が練れないから…。
MO:そうですよね。
F:こうやって、ああやって、八ぎりをやって、これやって、最後は上がる!みたいな…、そういう戦略を立てるわけです。それに必要なのは持ち札だと思うんです。
で、生きていくために…障害とは関係ないかもしれないですけど、全体的な話として生きてくためにはそのカードが選べた方がいいわけです。
で、選ぶためには知恵がないとカードが増えていかないわけです。
例えばMOさんは、ストレスコーピングってさらっと言いましたけど、その単語ってそう出てこないんですよ。
残念ながら障害の現場に行っても、その就労担当者ですらストレスコーピングって何ですか?って言う。
それぐらい差があるんです、知識一つ取っても。
でも、それすごく大事じゃないですか。
ストレスコーピングの勉強って必要ですよね。
MO: 実際、行ってもいるんですよ。就労移行支援事業所で。
でも、それが知識として定着してないし、自分のものになってない。
F:教われている人もいれば、教わっていることすらしてない人もいるわけですよね。
で、これよく言うんですけど、知らないことから想像力を働かせることはできないんですよ。
これは芸術家もはっきり言ってます。だから想像するためには知恵がなければいけない。
MO:おっしゃる通りですね。
F:でも、いいんですよ。その時響かなくても。半年後ぐらいに何かで見た時にそういえば、言ってたなと気が付けばいい。
気づいて自発的に本を買おうって言ったら、もう正解なわけですよね。
その行動にするための最初の意識づけというか、布石を打つっていう行動の中で知恵っていうのがあるとは思うんです。
でも、残念ながら今やっぱり、どこの現場に行っても、みんな傷病理解…、傷病名って言ったらいいのかな?「傷病名」のお勉強ばかりして、それが現実だと思っています。
だから統合失調症っていっても、様々なタイプの方がいらっしゃって本読んだってどれが自分に該当するかわからないっていうくらい、はちゃめちゃなわけですよ。
発達障害なんか、もっととんでもない事になってしまっている。
病名は途中で名前も変わっちゃってるって言うこともあって、広汎性発達障害とASDの違いって何ですか?って誰も答えられないような…、そういうくらい変にファーッと散らばってしまっている。
本当に本一冊読んで発達障害ってこういうもんなんだなってなっても、それは傷病理解ではないじゃないですか。
ただ傷病でレポート書いただけ、そんなの誰でもできるって言う事です。
傷病理解っていうのは、そこから自分はどういう傾向があって、これはないけど、例えば、聴覚過敏はないけど味覚過敏があるとか、すごく細かいとこで違いがあるわけですよ。
で、それが全部、熱として出てくる子もいれば。咳喘息になる子もいれば、お腹下す子もいれば、それはその子にしか分からないタイプ分けなんですよね。
本来そこまでやるのが傷病理解なんですけれども、でもそのためには、そのアラートを知る、そのためにはコーピングっていうものを勉強してないといけない…。
じゃあ、ではストレスって何ていうお勉強をしてないとわかんないわけですよね。
もっと言っちゃうと、まあ私はここまで話すんですけど、自律神経系の話ですね。
自律神経と内分泌と血液の話は少なくとも抑えておかないと自分がフィジカルでおかしいのかメンタルとしておかしいのかっていう区分けができないと対策ができないので、ここまでの知恵って本来は必要なんですよ。
あとはストレスって刺激のことを言うのであって、刺激ってどんなことなのっていうようなすごく人体としてのセオリーっていうのが、これは障害の世界っていうわけではなくて本当は全員が知ってないといけない。
MO:なるほど。
F:それを最初から知ってる支援者っていうのは本来は対応ができるわけなんですけど、支援者の人でも全然知らない。機能障害だって言ってんのにピンとこない。
この子しゃべりおかしいんですよね、っておかしいんですよね。じゃなくてね。
言語のシナプスがどうかなってるのか、それとも感情的に喋るのが嫌なのか、どっちっていうところを見定めなくちゃいけないような立ち位置なのに「おしゃべり、おかしいよね」で終わっちゃう。
それじゃあ、もう話にならないでしょって。
だから、何て言うのかな…絶対必要な生物学的な知恵というものが教えてもらえてないなーってすごく残念に思う。
それがあったら全然違ってくるのにって思うし。
MO:なんかその、障害とか傷病理解とか言われるものに一応自分なりに考えて定義をしてみるし、話をしてみる。
ただ、それは違うって否定する人がいるんですね(笑)
それに対してはすごく思っていて…、なんで「それは違う」って言うんだろうって思ってしまうんですね。
今のFさんのお話のように知識に基づいた根拠があるのなら、耳を傾けられるんですけどね。
で、理由はわからないのですが、それは「障害じゃない甘えるな」と言いたいのか「そんなこと誰でもある」って言う人もいて、支援者の方でもそう言う方がいらっしゃいます。
それって私も一緒って言いたいのかなとか分からないんですけど…、それ対して、なぜ私がそれを障害と定義しているのかというと、私は対象化しないといけないと思っていて、ストレスだったりとか認知だったり本当に否定的自動思考というか、すごくネガティブな思考になるので、じゃあこれは障害と名付けて、まず自分の外に出す。
それを「悪魔」と呼ぶ人もいれば(笑)「もう一人の自分」という言い方をする人もいる。
F:具現化するときは、そういう表現の方が分かりやすいと思うんですよね。
MO:やはり対象化って絶対に必要になると思うんですね。
それは病気のせいなんだとか、自分の意思ではないっていうことをわかるために対象化するんですけど、それを障害って呼ぶと嫌がる人もいる。
ぶっちゃけて言うと、何でそこを嫌がる人に気をつかわなきゃいけないんだろうと思いますよ(笑)
自分がカミングアウト的に話したとしても、そういう否定のされ方をするとストレスが溜まる。
しかも、その先に議論が進んでいかないのであれば、自分で呼び方を変えながら自分で対処していくために使えばいいのかなと思っていて、他人のそれも否定したくないという気持ちがあります。
まず話を聞いてみるというところから…、それこそFさんがおっしゃっていた生物学的な部分があったり知識を持っていれば判断がつくし、そこからまた話をしていけるじゃないですか。
ちょっと間違った認識であるかと思いつつも見守りつつ、本人がやっぱりメンタルダウンしそうな時にアドバイスしてもらえるのがいいのかなと。
MOが通い、YZが勤務していた就労移行支援事業所の支援者。
全体的に仕事が雑で、利用者からの評判があまりよくない。
※2
Fさんが思う、障害者雇用における、仕事のできる/できない、の感覚的なレベルの割合。
上(できる)、下(できない)はともに2割と少なく、その中間の6割にほとんどが属しているという認識。