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40歳、障害者の転職① ~心と頭で迷うバルネラブルな状態~

【この記事はこんなことが書いてあります】

  • 40歳の筆者MOが転職を決意!
  • 障害があり、生きにくさを感じることが多い筆者は、過去に転職を繰り返してきた自分の選択に自信が持ちきれない。
  • 重大な選択は結果の良し悪しで判断せず、葛藤を心で感じてみる。
  • この不安定さが「バルネラブルな状態」であり、「バルネラブルな状態」を乗り越えて、自分らしさに近づき、生きやすくなる。

40歳、転職を決意?!

すでに転職を考えて、行動し始めたのが1週間ほど前。

きっかけは2ヶ月程の間、オーバワーク気味になり、頭と心、ともに余裕がなくなったからです。

このままだと、疲れ果てた結果、逃げるように退職した過去を繰り返すのではないかと不安が募りました。

自分を取り巻く状況がどんどん変化していき、それについていこうとする努力が、無意味で価値のないものに感じられました。

今の会社で自分が目指していた場所は、このバルネラブルでのやりたいことにつながらないのでは……

そう思うと、ますます仕事に身が入らなくなってしまいます。
そこで、数日ではありますが、まずは仕事を休みました。

ここが一つの分岐点。

数日前までバリバリ仕事をこなしていた私は、急に勤怠の安定しない問題のある社員になってしまいます。

このようなケースは割りと「障害者雇用あるある」としてよく耳にしていたとはいえ「まさか、私が……」と、みなさん思われるのでしょう。

ただ、あまり笑えず、ありがたくもない。「ないない」と言いたい「あるある」です。

自分らしくいることの居心地の良さ

数日間の休みで私はまず、気持ちに正直になることをはじめました。
そのとき読んでいた本の影響もあるのですが、頭で考えるより心の声を聞くことを優先させたのです。
それを習慣にしていた自分の心が、私らしい答えを出してくれると信じていました。

転職→Webライター→フリーランス→バルネラブル

すぐに結論は出ました。

文章を書いて生業にする!それを生活の基盤にして、バルネラブルでの活動に活かす。
また、テレワークを経験してノマドワーカーとして独立することに魅力を感じていました。

そうと決まれば、あとは行動あるのみ!その数時間後には職務経歴書の7、8割はできあがりました。この加速して目的に向かう姿も自分らしい、うんうん。


ところが……

自分らしくいてはいけない不安

数日の欠勤の後、転職する意図や欠勤の原因の説明を職場の上司、福祉関係の方々に話していくにつれて、私のなかで不安が生まれます。


この40年間、同じことを繰り返してはいないだろうか?


オーバワークに耐えられず逃げるように仕事をやめた過去、自分の考えも伝えず、後ろめたい気持ちを感じながら無断欠勤をしてフェードアウトした過去。

心がネガティブなせいか、そんな遠い昔の記憶がリアルな恐怖として襲ってきます!

ガーン!!!(フラッシュバック)

「ガーン!!!」なんて昭和のマンガ風に書きましたが、まさに今の若者はショックを「ガーン」とは表現しないようです(豆知識)。

できるだけ、明るくなるように書いていますが、思春期の頃に感じていた、かなりどんよりとした重くて、暗い不安です。
そこから、葛藤がはじまります。

頭のなかで天使と悪魔がハルマゲドン(おおげさ)を起こします!

~天使~

今までとは違うよね!
あなたは自分らしさを考えて現実的に歩みを進めているわ。

将来設計もあるんだから、大丈夫!(o´・∀・)o

~悪魔~

お前の自分らしさはもはや通用しない。生きていく上で成立しない!
それは過去が証明しているぞ。

忍耐に我慢、お前に必要なのはそれだけだ!Ψ(`∀´)Ψケケケ

ちょっとまった!

そう!

ここがよくない!

この葛藤は転職など人生の重要な決断を下すときには、当然起こるもので、どちらかが絶対的に正しいなんてことはありません。

それを正しい、間違っていると判断したがるのは頭の仕業です。

先ほど、心で感じる習慣を身につけたと書きましたが、心が不安定になるとどうしても頭だけで判断する傾向が出てくるのでしょう。

天使と悪魔という善悪の概念で転職を分けてしまっているのも自分の頭です。今の時代、仕事は定着することと同じくらい独立も推奨されています。単なる働き方の違いに過ぎません。

どちらの選択が正しいか悪いかなんてないはずです。

だから、迷って当然。
むしろ、正解か不正解か、未来がわからないのであれば「勢いよく決断して突き進む」。または「慎重に考え抜いて後悔なく選択する」。

どちらも自分を大切にする決断であると言っていいでしょう。
このような大前提が見事に揺らいでしまう。

そして、葛藤をそのままにしておくことができず、頭だけで解決して、その後の結果を良し悪しで判断しようとする。
それが今までの私だったのかもしれません。

I feel vulnerable,but……

例え話を一つ。

私がアパレル店で、以前から着てみたいジャンルの服を見つけました。

試着すると店員さんも「お似合いでぇすぅ~~(なぜか女性店員の設定)」と言ってくれます。
ただ、自分にとってはちょっと挑戦したファッションです。
迷ったのち購入。自宅で着てみて自画自賛。次の休日が待ち遠しく、ワクワクしています。

ただ、そんな気分のときほど、その服を着て外出した瞬間に“むずかゆい思い”をしたことはないでしょうか?

「あれ?なんか、やっぱりへンじゃない?」と自意識が暴走!トイレで鏡に映る姿を確認し、必要以上に似合ってるかどうかを知人に聞いて呆れられる……。

つまり、周囲のいいか悪いかの評価ばかりを気にしてしまい、自分の感じた良さは忘れてしまっている状態です。

私はこの“むずかゆい思い”をするということが、新しい自分を「自分らしさ」と自他ともに認めるまでの通過儀式なのかと思います。

そして、この“むずかゆい思い”や私のような葛藤をしている状態は、まさにバルネラブルな状態と言えるでしょう。

【バルネラブルとは……】

傷つきやすく、一見すると弱々しい。
でも、将来に向けて変化をすることを心の底で望んで行動に移している状態。

YZ氏は常々言っていますが、バルネラブルな状態は誰にでも起こります。
障害、性格など、自分を知るために知識を蓄え、頭でわかることはとても大切です。

ただ、このバルネラブルな状態を頭だけでとらえるのではなく、自分らしさに出会うための通過儀式として、おもいっきり心で感じてみるのはどうでしょうか。

私たちがバルネラブルな状態を越えたとき、障害や性格、今までの価値観に変化が起こります。

その変化を繰り返すことを苦痛としてネガティブに考えるのではなく、一回目より二回目、三回目と、少しずつ自分らしさに近づいていることを実感できるかどうかが、生きにくさを克服するコツなのかもしれません。

では、これからどうするのか

自分の意見と現在の状態を会社の方々、福祉関係でお世話になる方々や医師に、まずはしっかり話し、理解を得ながら前に進んでいます。

善悪、良し悪しにとらわれなくなると客観的な視野が広がります。

これを機に発達障害(ADHD)の検査を受けることも決めました。自分らしさに、より近づくきっかけにしたいと思います。

性急に結論を出さず、まずは「空間・時間・仲間(人間関係)」の3つの間について、心が喜び、自分らしくいられる割合を少しずつ増やしていくことが何より大切かと思います。

結果を良し悪しで判断せずに、過程で経験したことを成長と考える。
バルネラブルな状態は決して楽ではない。それは皆さんと同じ、もちろんわかっているつもりです。
ただ、今の状況をシリアスに捉え過ぎず、少しでも楽しみながら、がっつりと葛藤したいと思います!

その先を楽しみにして。