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誰だって生きづらさを主張していい ~オープンダイアローグに学ぶ~

【この記事はこんなことが書いてあります】

  • 生きづらさは障害者だけでなく、様々な人が抱え多様化しているのに、それが認められない風潮はとても残念である
  • 生きづらさを受容し、その人の言葉に耳を傾むける精神があれば、生きづらさは発信し、訴えやすくなる
  • オープンダイアローグという対話の手法から他人の生きづらさをどう受け入れるべきか学ぶことができる

みんな、生きづらくていいよね?

「生きづらさ」は誰のものだろう?という疑問が私の中で常にあります。

生きづらいと安易に言いにくい風潮にそう感じさせられるからです。

生きづらさが多様化しているにもかかわらず、生きづらいことを我慢しないといけないと思う方の中には他人の生きづらさを否定し、認めない方がいらっしゃいます。

「私の方が生きづらい」というマウンティングが行われるのは正直、辟易します。

また、障害に近いが障害として認知されていない性質(HSPやLGBTなど)をお持ちの方、そんな方々を支えるご家族や支援員の方々の「生きづらさ」もあります。

どうしても障害のある方ばかりの「生きづらさ」ばかりが注目されることで、他の方々の「生きづらさ」が見えづらくなっていないでしょうか。

そんな多様化している「生きづらさ」をしっかりと受け止めるためには、どうしたらいいのでしょうか。

あなたの生きづらさを教えてください

私はまず、それぞれの「生きづらさ」への訴えに耳を傾けることが必要だと思っています。

後述するオープンダイアローグという手法がありますが、相手の意見に耳を傾け、相手の感じている世界を知る努力をすること。

こそこそが、これからの多様な生きづらさを受容する世の中には必要になってくると思います。

そして、生きづらさが少しでも多く受容されるには、より多くの人が「生きづらい」と訴え、発信することが大切です。

まず、自分の「生きづらさ」をどこかで発信すること、このバルネラブルに関わる場所でそういう場所をつくりますし、同じような方々がつながれるSNSや自助グループなど対面のものでも構いません。

最初は自分個人の訴えかもしれませが、様々な発信できる場所の中で自分に適した場所があれば、そこで発信された「生きづらさ」は誰かとつながり自分だけのものではなくなります。

自分だけでないと思えることが、どれだけ次の一歩と、将来につながるか……。

これは体験した方なら必ずわかっていただけると思います。

ここで大切なのは、はじめての発信は主観的なものでまったく構わないということ。

というより、むしろ主観的であるべきだとさえ思います。

苦しさや辛さという感情を受け入れてもらった経験は、同じ思いをしている人への共感につながります。

SNSでは同じ境遇の方の一言を見逃さず、感情的な支えになろうとしている方がいて、頭が下がる思いです。

大丈夫。そんな方が必ずあなたの生きづらさを見つけ、共感してくれるはずです。

なので、もっと「生きづらさ」を発信してほしいと思います。

もちろん、私もそうしていきます。

オープンダイアローグに学ぶ「対話」

そして、日本でも少しずつ注目されているオープンダイアローグという手法があります。

「薬を使わずにうつや、統合失調症を治す」。

このような、わかりやすい効果に興味が惹かれがちな手法ではありますが、私は下記の本を読み、その手法を現実的な対話や話し合いの場に活かせると思い、感銘を受けました。

『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』

オープンダイアローグはまず、対話の当事者、主役となる障害のある

方とその人と関係する方々(医師や家族、友人など)を集めて、その当事者の感じている世界を理解することからはじめます。

そこに十分な時間をかけると、当事者は自分だけの考えから抜け出すことができます。

当事者は多様な意見を受け入れることができるようになり、その場にいる誰かが用意した結論ではなく、場にいる方々の対話で導き出される答えにより、問題が解消されます。

オープンダイアローグについてはまた別記事でしっかりと考察したいのですが、これは日常的な問題の解決や、程度に関係なく「生きづらさ」を抱える人との対話にとても役立つ考え方、手法だと思います。

このように、日本でも対話で問題を解消してく術が認められつつあり、「生きづらさ」の多様性を認めていくべきだという考えは強くなっています。

お互いの「生きづらさ」は解決せずに、解消していく(オープンダイアローグの基本姿勢でもあります)。

そのために、まずは積極的に生きづらさについて自分の言葉で話すこと、発信すること。

そして生きづらさを受け入れる準備をすること。

その姿勢こそが対話に必要だということが、より多くの人に浸透してほしいと思います。