【この記事はこんなことが書いてあります】
- 医療や福祉に従事する人たちの間で「障害者が社会に出る」という視点が欠けてしまっていることがあるのではないか
- 障害者が社会ではNGである行為を直すきっかけをつかむには、社会に出てからでは手遅れになる可能性がある
- 支援者として、医療や福祉から手の届かないところでも障害者が自立できる支援を行っていくべきではないだろうか
障害者が自立して、一般社会で活躍していくということ
私は長い期間、支援の経験を積んだわけでもなく、福祉の資格も持っていません。
どこかに根付いて医療機関や支援機関に精通しているわけでもありません。
医療や福祉の観点から見れば、私はとても不安定な(知識不足な)支援員かもしれません。それでも、一支援員として働いている間、よく疑問に思うことがあります。
医療や福祉に従事している人たちは、果たして障害を抱えた人たちが障害の区別のない一般社会に混じっていくことを想像しているのだろうか、と。
事例が二つあります
ある利用者さん(A君)を福祉施設に受け入れるとき、もともとA君を支援していた支援員にこう言われました。
「A君は女性軽視の傾向があります、ですので女性のスタッフが対応してもいいのですが、ここぞというときは男性が出てきて注意して下さい。」
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それだとA君が女性を軽視してしまう課題は解決できません。
一般社会では、必ずしも上司となる人が男性なわけではない、男女ともに過ごす社会の中で、そこの課題解決をしないでA君は社会に出られるのでしょうか。
また、別の利用者さん(B君)が、スタッフAに暴力をふるった1年後、まだスタッフAに対する感情が消えず「別の人格がまた殴ってしまいそうだ」とデイケアのスタッフCさんに相談し、Cさんから私宛に連絡がありました。
そこで概ね下記のようなことを言われました。
「Aさんの距離感の問題だと思います。法人として支援について考えてみてください。」
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確かにスタッフAが「福祉支援員」として優しくB君が納得するような声掛けをしたか、と聞かれればそうではないかもしれません。
ただスタッフAが暴言を吐いたわけでも暴力をふるったわけでもありません。
挨拶もいつも通りに交わしていました。
ただ、B君にとっては施設のルールを告知なしに決めたことや、他の利用者さんにしていることに納得がいかない点があったことが理由でこの事態に陥っているのです。
その状況で果たしてスタッフAの距離感だけを問題としてしまってよいのでしょうか。
B君の距離感の問題もあると思います。
ましてや、それを理由にスタッフAを殴っていい理由にはなりません。
彼が物を壊したりしたのは初めてではありません。
問題が起こるたびに「怒りを向けられた相手」に一方的に改善を求めることだけで、B君の成長になるのでしょうか。
デイケア担当のCさんが言うことは間違っていません。
医療や福祉の世界なら「支援者側が配慮する」ことでこの問題は解決します。
ただ、それは医療や福祉の世界「だけ」という限定になります。
一般社会でB君が同じことをやれば警察に捕まることになるかもしれません。
「B君がもう少し成長してから……」などとフォローしてはもらえません。
そしてB君が成長していく過程で、自然とその問題に自ら気がついて直すことができるとは思えません。
今問題が起きてる時に、そこに対してアプローチしないと気がつけないのではないでしょうか。
「福祉としての正解」だけでなく「一般社会での正解」を教える
いつも疑問に思うのです。
A君もB君も一般社会で暮らせる能力がないわけではないと思います。
また、本人もそういう希望があります。
本人が一生福祉の中で生きてくと決めているのであればいいが、そういう年齢でもありません。
支援者として医療や福祉の手の届かないところでも一人で生きていける術は教えなくていいのでしょうか。
たしかに社会に出てしまえば支援員としての関りはありません。
しかしながら「今学ぶため」に、彼らは福祉サービスを利用して暮らしていると私は思うのです。
支援者がその先を見て課題を解決せず、本人の気持ちだけに「配慮」することはその先に本人にとって本当に意味があるのでしょうか。
誰のために私たちは支援をしているのだろうか。
今一度考え直してみてほしいと思います。